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〔 はじめに 〕

更新日: 2018年6月16日 06時16分

 悩みをかかえ耐えがたい苦痛に苛まれている人、
 憂鬱に支配され人生の意味を模索する孤独の人、
 執着に囚われ充たされぬ欲望に悶え苦しむ人、

 わたし達はみな苦を抱えて生きている。何を大袈裟にというかもしれないが、一見平々凡々と苦もなく生きているように見える人さえも見えない苦を抱えて生きている。
 見よう見まねで日々を流れにまかせれば、浮き沈みしつつ自分を見失い、表層のみの些事にかまけ苦にあることさえ忘れてしまう。ただ忘れているだけなのだ。

 「人としてよりよく生きるため釈迦の教えを知りたい」という『菩提心』を失念した時、出口の見えぬ暗闇の中、灯りもなく手探りでさまよう無益な人生を余儀なくされる。

 仏教を基礎とする『聖諦論』は『菩提心』を涵養し、無智・錯誤・混乱という『苦』を滅する哲学である。だが人はどのような『縁』に出会おうとも結局自分自身の選択で生きるしかない。だからわたしは、ただのガイドにすぎない。正しい道を選べ!主役はあなただ。

 『苦』は全て自分が生みだしている。これが聖諦論の全てといってもよい。
苦の正体を知り、苦を生みだすわたし達の実像を知れば、いともたやすく安心・安寧の日々をとりもどせる。決して難しいものではないし、なんら苦痛を伴うものでもない。ただこれまでの常識を覆す作業はそれなりの努力を要する。

その努力は精神や肉体を酷使する苦行ではない。苦行がもたらすのはせいぜい自己満足でしかない。

 聖諦論の修行は、日々心地よく眠りに入りさわやかに目覚め、人間関係は微笑みをもって終始し、行動は自らの望むものとなり、心身ともに健やかで喜びに満ちた生活をとりもどすことである。目標と手段は常に一体でなければならない。

 

 


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