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NO.8 いまここ? 現実は認識できない

更新日: 2018年8月31日 15時05分

 「いまここ」は now here ?  でも「どこにもない」も nowhere !
英語には時々このように、なんとも意味深なアナグラムが存在する。

 

 『いまここ』は多くの啓蒙家が利用する言葉だ。わたし達が存在するのは『今』という時間でしかない、未来や過去というものは頭の中にしか存在しないという意味である。このくらいのことは中学生にでもなれば判る。
 だが頭で解ったとして、わたし達が『今ここに』に存在しているかといわれると疑問である。なぜなら「今ここ(にいる)」と言った瞬間、それはもう過去でしかないからである。言葉に言わなくても心の中で思っても一緒。「今ここにいる」と思った瞬間それはもう過去のことになっている。現実に『今ここ』は存在しないことになる。

まさにアナグラム通りで『 now here 』は『 nowwhere 』なのだ。

 

 なぜこんなことが起きるのか?それはわたし達の色心に、「今」というダイナミック(動的)に変化する『現実』を認識する機能・能力がないからだ。わたし達にできるのは、流れるように変化する『諸行無常の現実』の一瞬一瞬を切り取ること。
ダイナミックに『変化している現実』は認識できないが、切り取ったスタティック(静的)な『現実の静止画像』なら『認識』できる。だから、わたし達のが認識する『現実』は、映画を見るのと同じように連続する静止画を早送り再生しているものを見ている。それは頭の中で創りあげた『架空の現実』という動画である。

 これがわたし達の『認識』だ。変化する現実を『認識』しているつもりでも、現実を切り取った静止画像を見ているに過ぎない。それは認識の錯誤であり。ありのままの世界と自分を観ているわけではなく、必ず現実と認識の間にずれが生じる。それが『苦』だ。

   認識できる『現実』は『虚像・妄想』である。
   現実・いまここ(now here)は、認識できない(nowwhere)。

 

だが『いまここ』は認識できなくともえ、『いまここ』に『在る』ことはできる。
その方法とは「『今ここ』ではないことをやめる」ということなのだが・・・・・。

 

 『いまここ』という言葉が、あたかも「時間と場所』を示すように受け止められているがそれが間違い。まあ言葉通りといえばそうなのだが、『いまここ』という言葉の本当の意味は、「ダイナミックなありのままの自分を、ありのままに観る」その状態を指す言葉なのです。
 わたし達は生きている限り色心界の情報を優先する。つまり五蘊に認識を委ねている。だからありのままの自分を観ることができない。ならば話は早い。ありのままに観るためには五蘊の情報を手放す。もっと簡単に言えば『苦』を手放すことなのである。


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